10.9東京ドームの真相!武藤敬司Vs高田延彦と全面対抗戦の裏側
なぜ、これほどまでに圧倒的なリスクを背負ってまで、UWFインターナショナルは新日本プロレスとの対抗戦に打って出なければならなかったのでしょうか。その深層には、華やかなスポットライトの裏で進行していた団体の破滅的な財務危機がありました。 複数の関係者の証言や当時の業界報道によると、1995年半ばの時点でUインターは約2億円におよぶ累積負債を抱えていました。ベイダーやゲーリー・オブライトといった大物外国人レスラーの法外なギャランティ、神宮球場や日本武道館など大会場での強気な興行展開が裏目に出て、キャッシュフローが完全にショートしていたのです。所属選手への給与遅配も常態化し、フロントの要であった宮戸優光が方針の対立から団体を離脱するなど、内部崩壊のカウントダウンが始まっていました。 さらに決定打となったのが、1994年12月に起きた「安生洋二のヒクソン・グレイシー道場破り事件」でした。米ロサンゼルスに乗り込み、当時無敵を誇っていたヒクソンに挑んだ安生でしたが、結果はマウントパンチを浴びて失神TKOという惨憺たる返り討ち。非公開で行われたこの惨劇の写真が流出したことで、Uインターが生命線としていた「最強神話」に致命的な亀裂が入ってしまったのです。 追い詰められたUインターの経営陣(鈴木健取締役ら)に残された選択肢は、かつて散々罵倒してきた新日本プロレスの軍門に下り、東京ドームという巨大な舞台で莫大なファイトマネーを得ることしかありませんでした。新日本プロレス側もまた、この弱みを見逃しませんでした。 新日本の現場監督だった長州力は、対戦要求を受け入れる条件として、一切の妥協を許さないマッチメイクを提示しました。長州は後に自著で「向こうは飯が食えなくなって駆け込んできたんだ。勝負論を曖昧にして両成敗で終わらせるような生ぬるいビジネスをする気は毛頭なかった」と明かしています。第5試合で安生洋二と対戦した長州は、試合前から「200%勝てる」と吹聴していた安生の蹴りを正面から受け止めると、わずか4分45秒、必殺のサソリ固めで完膚なきまでに締め上げました。それは、プロレス界の上下関係を力で分からせる、あまりにも残酷な処刑宣告だったのです。