なぜサッチャーは「鉄の女」と呼ばれたのか?改革の功罪と真相
サッチャーが政権を握った1979年当時、英国は「英国病(イギリス病)」と呼ばれる重篤な経済停滞に喘いでいました。過度な福祉政策、肥大化した国営企業、そして強力すぎる労働組合のストライキにより生産性は低迷し、1978年から1979年にかけての「不満の冬」にはゴミ収集や医療、墓掘りまでが停止する事態に陥っていました。
この危機を打開すべくサッチャーが打ち出したのが、市場原理と自己責任を最重要視する新自由主義(サッチリズム)です。具体的には以下の柱で構成されていました。
- マネタリズム(通貨主義)に基づく金融引き締め:インフレーションの徹底的な抑制。
- 国営企業の民営化改革:ブリティッシュ・テレコム(BT)、ブリティッシュ・ガス、ブリティッシュ・エアウェイズ(BA)、鉄鋼、水道、電力などの売却。
- 公営住宅(カウンシル・ハウス)の払い下げ:居住者に低価格で持ち家を購入させ、中産階級化を促進。
- 規制緩和と金融ビッグバン(1986年):ロンドン市場を国際金融センターへと大刷新。
- 労働組合改革:ピケ活動の規制やストライキ決議の秘密投票義務付け。
特に歴史の転換点となったのが、1984年から1985年にかけての炭鉱ストライキにおける全面対決です。アーサー・スカーギル率いる全米炭鉱労働組合(NUM)が不採算炭鉱の閉鎖計画に反対して突入したストに対し、サッチャー政権は事前に周到な石炭の備蓄を行い、警察力を動員して妥協なき姿勢を貫きました。1年におよぶ死闘の末に労組側が無条件で敗北を認め、英国の労働組合運動はその支配力を失うこととなりました。