二代目若乃花とは誰か?花田虎上との違いと早すぎる死の真相に迫る
二代目若乃花とは誰か?花田虎上との違いと早すぎる死の真相に迫るについて押さえておきたい 理由を分かりやすく解説いたします。
昭和の大横綱としての足跡を辿る際、二代目若乃花 経歴の原点にあるのは、名門・二子山部屋への入門でした。青森県南津軽郡大鰐町出身の下山勝則少年は、地元の大先輩であり同郷の英雄であった初代若乃花に強く憧れ、昭和43(1968)年7月場所に初土俵を踏みます。
当時の四股名は若三杉。師匠譲りの鋭い出足と、下手投げや上手投げといった華麗な技の切れ味を誇り、何よりも日本人離れした甘いマスクから「美剣士」「角界のプリンス」と呼ばれ、女性ファンからアイドル的な絶叫を浴びる存在となりました。昭和52(1977)年には大関へ昇進し、盟友であり最大のライバルであった輪島や北の湖と幾度となく名勝負を繰り広げます。
そして昭和53(1978)年5月場所後、全勝優勝を果たした北の湖との優勝決定戦を制して2度目の幕内最高優勝を達成。満場一致で第56代横綱への昇進を決めました。この昇進と同時に、師匠から授かったのが大名跡「若乃花」でした。当時の記者会見で師匠の初代二子山親方は「自分のすべてを叩き込んだ弟子。私の名前を継がせることに一片の迷いもない」と語り、二代目若乃花もまた「師匠の名に恥じぬ横綱相撲を取る」と覚悟を語っていました。幕内通算4回の優勝を飾り、堂々たる土俵入りを披露したその姿は、昭和50年代の相撲界を象徴する光景だったのです。