大部屋俳優の過酷な実態と給料|斬られ役から大スターへの成功秘話
大部屋制度が最も強固に機能していたのが、京都に拠点を置いた東映京都撮影所と松竹京都撮影所です。1950年代から1960年代にかけて巻き起こった時代劇ブームにおいて、量産体制を維持するために大部屋俳優の存在は不可欠でした。
東映では、殺陣の技術を専門に磨く「東映剣会(つるぎかい)」が結成され、単なる端役にとどまらない職人集団としての地位を確立します。一方の松竹でも、歌舞伎や新派の流れを汲む厳格な徒弟制度のもとで大部屋俳優たちが育成されました。
しかし、1970年代以降のテレビ普及に伴う映画斜陽期と、各映画会社の経営合理化によって専属俳優制度は徐々に解体へ向かいます。映画会社が専属俳優を抱え続ける体力を失ったことで、大部屋という物理的な空間とシステムは歴史の表舞台から姿を消していくことになりました。