佐川急便創業者・佐川清の光と影|巨大物流帝国を築いた男の真相
佐川清が築き上げた急成長のエンジンは、徹底した「超高歩合給システム」でした。走れば走るほど、汗を流せば流すほど給与として還元される仕組みを構築し、1970年代から80年代にかけては「年収1000万〜2000万円を稼ぎ出す佐川ドライバー」が続出。「佐川ドリーム」という言葉が社会現象となりました。全国から屈強な若者が集まり、猛烈なスピードで全国ネットワーク網を完成させたのです。
この大躍進に伴い、創業者・佐川清の個人資産も天文学的な規模へと膨れ上がりました。京都・東山や滋賀県・琵琶湖畔の広大な自宅、さらには美術品への巨額投資(のちの佐川美術館の収蔵品となる平山郁夫や佐藤忠良のコレクション)など、総資産は数千億円規模に達したと囁かれました。困っている者にはポンと数百万円の現金を差し出す豪放磊落なタニマチ体質でも知られ、政財界や芸能界、スポーツ界にまでその太いパイプを張り巡らせていきました。
しかし、その金権体質と中央集権的なワンマン経営が最大の破滅を招きます。1992年に表面化した「東京佐川急便事件」です。子会社である東京佐川急便の元社長・渡辺広康氏らが、政界の大物(金丸信元自民党副総裁ら)への巨額ヤミ献金や、指定暴力団関係者への巨額債務保証・資金流出を行っていたことが発覚。日本中を揺るがす大疑獄へと発展しました。
佐川清自身は直接の刑事責任を問われなかったものの、道義的責任を取り1992年にグループの全役員を辞任。一代で築き上げた城のトップから完全に退くという、屈辱的な幕引きを余儀なくされたのです。