大勝軒系の違いを徹底比較!東池袋と永福町の歴史と味・真相の全貌
ラーメン業界において「大勝軒」と呼ばれる店舗は、大きく分けて「東池袋大勝軒系」と「永福町大勝軒系」の2大水脈に大別されます。両者は屋号こそ同じですが、味の設計思想も創業の系譜も根本から異なります。まずはそのルーツと歴史的背景を紐解いていきましょう。
東池袋大勝軒の生みの親は、「ラーメンの神様」と称された故・山岸一雄氏です。山岸氏は1951年、従兄の坂口正安氏とともに中野で創業された「大勝軒(丸長・大勝軒グループの源流)」の立ち上げに参画。その後、1961年に豊島区東池袋にて独立開業を果たしました。まかないから生まれた「特製もりそば」は、今や国民食となった「つけ麺」の元祖として日本の外食史にその名を刻んでいます。
一方、杉並区の京王井の頭線・永福町駅前に1955年に創業したのが、草野光男氏による「永福町大勝軒」です。草野氏は中野や東池袋のグループとは血縁・暖簾の直接的な派生関係を持たず、独自の試行錯誤の末に「煮干し中華そば」を完成させました。巨大な洗面器のような丼、表面を覆う厚いラードの層、そして標準で2玉(茹で前約300g)という圧倒的なボリュームは、創業から70年余りを経た現在も行列が途切れない伝説のスタイルです。
なお、大正時代に創業された「人形町大勝軒」などの老舗中華料理店も存在しますが、現在ラーメン界で「大勝軒系」として語られるムーブメントは、まさにこの東池袋と永福町という2つの偉大な潮流が牽引しています。