山本五十六の遺体はなぜ端座していたか|検死調書と即死説の矛盾を追う

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海軍の公式発表では、山本長官は「機上で敵弾を頭部と背中に受け、即死した」とされました。武人が苦しむことなく、敵の弾丸に斃れて即座に殉職したという筋書きです。公式検死を担当した田名部今朝蔵海軍軍医少佐の記録でも、下顎から側頭部へと貫通した銃創が致命傷と断定されました。

しかし、この即死説に決定的な疑問を突きつけたのが、遺体の処置と検死に立ち会った蜷川親綱(にながわ ちかつな)海軍軍医大尉の残した検死記録と証言です。蜷川軍医は戦後、自らの手記や取材において、公式発表とは全く異なる所見を明かしています。

蜷川氏の検視によれば、遺体の頭蓋骨には貫通銃創による粉砕の兆候が見当たらず、顔面に見られた傷は墜落時の衝撃による打撲や裂傷の可能性が高いと指摘されました。さらに決定的だったのは、遺体の手が周囲の草や泥を固く握りしめていたという事実です。これは医学的に「生体反応」を示しており、空中での即死ではなく、墜落後に地上で意識を保ち、激痛のなかで息絶えたことを物語っています。軍上層部は、最高指揮官が泥水の中で悶絶しながら絶命したという過酷な現実を覆い隠すため、検死調書を都合よく書き換え、即死の物語を捏造したのです。

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