瀬戸内のジャンヌ・ダルク鶴姫の正体とは?大山祇神社の鎧と伝説の真相

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鶴姫が活躍したとされるのは、戦国時代前期にあたる天文年間(1530〜1540年代)のことです。舞台となった伊予国(現在の愛媛県)の大三島は、瀬戸内海の制海権を握る海上交通の要衝であり、越智(おち)氏や河野(こうの)氏をはじめとする伊予水軍の信仰を集める総鎮守・大山祇神社が鎮座する聖地でした。

大山祇神社の社家であり、代々神職を務めていたのが大祝氏です。当時の神職は戦陣において神の加護を祈るだけでなく、時には自ら武将として一族を率いて戦う役割を担っていました。鶴姫は、大祝安用(やすもち、あるいは安泰)の長女として生まれ、幼少期から武芸や兵法の手ほどきを受けて育ったと伝えられています。

当時、周防・長門(現在の山口県)を拠点に強大な勢力を誇っていた大内義隆が、瀬戸内海の覇権を握るべく三島水軍の拠点である大三島へ侵攻を開始しました。鶴姫の兄である大祝安舎(やすおき)や安房(やすふさ)が相次いで迎撃に出陣するも、兄・安房が討死。当時わずか16歳前後だった鶴姫は、亡き兄に代わって陣頭に立ち、三島水軍を鼓舞して大内水軍を見事に撃破したとされています。

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