キーンコーンカーンコーンは英国発祥?学校チャイムに定着した衝撃の真相

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英国の歴史的教会の鐘が、なぜ極東の島国である日本の学校に導入されることになったのか。その転換点は、第二次世界大戦の爪痕が色濃く残る1954年(昭和29年)の東京都北区立稲付(いなつけ)中学校にありました。

戦前の日本の学校では、用務員が手作業で鳴らす真鍮製のハンドベルや、寺院の鐘のような「半鐘(はんしょう)」が時報として使われていました。しかし戦時体制に入ると、これらは金属類回収令によって供出され、代わりに工場や防空監視所で使われていた空襲警報用のモーターサイレンが始業・終業の合図として校舎の屋根に設置されるようになります。終戦後も資金不足からこのサイレンがそのまま流用され続け、時間になると街中にウーウーと重々しい警戒音が響き渡っていました。

当時の教育日誌や学校関係者の手記には、サイレンが鳴るたびに戦時中の空襲や機銃掃射の恐怖をフラッシュバックさせ、身体を強張らせる児童・生徒たちの痛ましい姿が記録されています。この過酷な教育環境に心を痛めたのが、同校で英語科と音楽科を担当していた井上尚美(いのうえ なおよし)教諭でした。

アマチュア無線や音響機器の自作に詳しかった井上教諭は、「生徒たちを恐怖で縛るのではなく、心穏やかに学習へ向かわせる平和的な合図はないものか」と模索を続けました。ある日、短波ラジオから流れてきた英国BBC放送のインターバル・シグナル、すなわちビッグベンの「ウェストミンスターの鐘」を耳にした瞬間、直感がひらめきます。「この重厚で澄んだ鐘の音こそ、新しい時代の教育現場にふさわしい」。

井上教諭は私費を投じ、鉄琴の金属棒(チャイムバー)を電磁石のハンマーで打ち鳴らす特注の自動打鐘装置を設計しました。地元の音響機器メーカーに掛け合い、時計と連動して自動でアンプから校内放送へ流すシステムを構築。1954年秋、稲付中学校の校舎に日本で初めて「キーンコーンカーンコーン」の音が響き渡った瞬間、生徒たちから歓声が上がったと当時の特番取材や記念誌は伝えています。恐怖の象徴だったサイレンを排除し、平和と情操教育の象徴としてチャイムを鳴らすという試みは瞬く間に全国の教育委員会から視覚的・聴覚的モデルケースとして注目され、高度経済成長の波に乗って全国の学校へ普及していきました。

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